[与那原町の水産業]与那原・西原町漁協水産物荷さばき場がある与那原町(よなばるちょう)は、沖縄県本島の南部島尻郡に属する町です。県庁所在地である那覇市から東へ約9 km、沖縄本島南部の東海岸に位置し、中城(なかぐすく)湾に面しています。 面積は5.18 km2と沖縄本島では最も小さく、第二次世界大戦までは中城湾に面する天然の良港として南部と山原を往来した交易船(山原船)が出入りするなど沖縄本島東海岸の沿岸交通の要衝でした。戦後は港町としての性格が失われつつありますが、それでも、南部(島尻)と中部(中頭)の両地方を結ぶ東海岸沿いの陸上交通の要衝として、今も重要な機能はそのまま残っています。与那原町は古くから良好な漁場である中城湾を中心に漁業が盛んで、特にソデイカは属地陸揚量が県内トップクラスを誇る生産拠点となっています。ソデイカは全国的なイカ類の不漁の中で最近特に注目度が高まっています。我が国のイカ類の漁獲量は近年のスルメイカの記録的な不漁により大幅に減少していますが、ソデイカを含むその他イカ類については比較的安定した漁獲量を保っており、全国的に需要が高まると同時に、さらなる増産が期待されています。そうした中、当地区では、沖合での漁業効率化と生産性向上を図るべく漁船の大型化を進めているほか、平成27年12月には沖縄県では最初の閉鎖型市場となる水産物荷捌き施設を開設し安心かつ安定的かつ高品質な水産物の供給を推進しています。[沖縄「三大綱引き」]与那原大綱曳の始まりは1500年代の尚永王時代まで遡るといわれ、現在まで450年余の歴史を誇っています。『与那原町の民話』によると、その昔、害虫が発生し稲が不作で人々は餓死寸前まで追い込まれた年があり、 困り果てた村頭は姥捨山に捨てた老人に相談したところ、「野山の草を集めて焼き、皆で鐘やドラを叩き、大声を出しながら綱を曳くように」と教わり、そのとおり綱を曳いた結果、害虫はいなくなったとの言い伝えに由来しているといわれています。もともとは旧暦6月26日に町内の拝所で豊年や住民の健康を祈願したあとに行なわれていましたが、農家が少なくなったことによる生活環境の変化や、より観光的要素が強くなったことなどから、現在では26日以降の日曜日に行なわれるようになりました。[「ヤチムン」のまち]与那原町の主な産業は窯業、金属加工、木工・食料品等の製造業ですが、中でも窯業は戦前から赤瓦の産地として有名です。琉球王朝の王城で沖縄県内最大規模の城であった首里城は、2019年(令和元年)に焼失し、現在、2026年(令和8年)秋の完成を目指して再建に取り組んでいるところですが、、この首里城復元に当たっても与那原の赤瓦が使用されています。また、最近は同町を訪れる観光客にシーサーやマグカップ作りを体験させるヤチムン(焼物)教室も観光の目玉の一つとなっています。与那原大綱曳◇与那原町の概要私達の与那原町の歴史は古く、沖縄最古の古謡集「おもろさうし」の中に「よなはる」や「よなはばま」(与那覇浜)の名で登場している。与那原の地名は、かつて海岸地であったところの名称であるといわれ先史時代の面影は、きわめて静かで白い砂浜が続く入り江を前にした浦辺の仙境であったと思われる。古代の与那原人が最初に住み着いたところは、上与那原(町南西部)であったといわれている。当時の上与那原は、海に近く漁労に便利でしかも水が豊富だったため、自然に人が住み着き、集落ができたと考えられる。与那原・西原町漁協水産物荷さばき場(沖縄県島尻郡与那原町)軽便与那原駅舎展示資料館 (与那原町HPより抜粋・構成)(水産物荷さばき場の全景)御殿山拝所(清潔な場内)(ソデイカの陸揚げ)西原マリンパーク149市場のある都市市場のある都市
元のページ ../index.html#2